第1期黄金時代

「弓道部全国制覇の業なる」学院運動部の近代スポーツの百花燎爛たる中にあって、ひとり菊花の如き馥郁たる古典的香りを放ちつつあるものにわが弓道部がある。 大正九年一躍斯界に名を為してより常に連綿たる歴史を残しつつあるが、大正十二年より始まって十四年全国制覇の業をなせし間の歴史は徳に光彩陸離たるものがある。

大正十二年五月岡山に遠征して中国の覇者六高と対戦して大接戦の末これを従えた。 七月に入り神沢、前田、貝住、加藤、堺、剣持、佐藤、近藤等の精鋭をすぐって東都遠征を企て、慶大、東京商工、商大等を軽く破ったが、 東都の雄早大に百五十四中対百四十中の接戦に敗れた。

秋十月には阪神連合競争大会には神戸高商の肉迫を押さえて見事優勝した。 更に十一月県下弓術競射大会に再び神戸高商を押さえて見事優勝した。翌十三年には六高の遠征軍に大勝し、 京洛に臨んでは近畿連合大会に武徳会本部を破って優勝した。超えて十三年四月学院三十五周年と我が部全勝を記念するため 第一回全国弓道大会を学院道場に開催したあ。同月京都体勇社大会には剣持が優勝し、佐藤三等、小山六等となった。阪神連合競射大会には惜しくも 優勝の栄冠を他に譲った。五月医大を一蹴したが、翌月の六高及び早大戦に二敗するところとなった。

十三年末やや不振の状態に奮起した弓道部は十四年大望を懐いて全国制覇の企てを起こした。よって五月剣持御大をはじめ、加輪上、佐藤、小山、北畠、江口、大島、林等一騎当千の士をすぐって 東都遠征を企てた。まず國學院大學を一蹴し、ついで東都にその武名を誇る早大と対戦し百中対八十八中で撃破し積年の本望を遂げた。更に早大と並び称される慶大をも百四中対九十五中の得点を以て破り名声頓に 東都に鳴り響いた。かくて高師、一高、商大等凡そ東都に武威を誇る輩は凡そ之を薙ぎ倒し連戦連勝を以て、見事日本第一位の金的を射止めた。

夏には慶応の遠征軍復讐を期して来るも、何で以て堪えるべき、無惨にも返り討ちの形となった。秋十月二十五日京都武徳殿で開かれた近畿連合大会に剣持、佐藤、小山の三名を送り、 徹底的に優勝した。之にて我が部は同大会に出場以来三年間六回連勝するところとない、本部役員も学院のこの不断の努力を認めて、遂に絶対に与えずと言う最高の優勝弓を学院に授与することとなった。

この関西弓道界始まって以来の出来事にして、我が部は空前絶後の名誉を施したものである。十一月には阪神連合大会、県下弓道大会にいづれも優勝した。六高戦にも大勝した。 更に第一回私立四校連合大会にも優勝の覇権を持した。実にこの年の弓道部の活動は凄まじく之を評するに「優勝」の二字を以てするより他にない有様であった。

翌年以後の前記の諸大会の大部分は学院の優勝するところとなったものであることを記しておく。昭和二年六月東京遠征をなし、大島等中心となって 活躍した。しかし戦績は二勝一敗であった。三年夏には満鉄の招聘を受けて満州の各地に武威を輝かして帰った。秋の私立四校戦に連勝した。 学生弓道連盟大会にも優勝した。かくて連年関西弓道界に重きをなして原田の森の歴史を終わった。恐らく優勝の回数の最も多き部は学院にてこの 部に及ぶものはあるまい。諸選手の努力と共に小沢教授の絶えざる尽力がその然らしむる最大原因であろう。


「関西学院高等商業学部二十年史」より




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