宿願の道場落成



戦後の活動再開当時、戦前の輝かしい戦績を刻んだ道場は他の部のものとなっていました。活動を再開したメンバーは 道場の再建を心に誓いながら、黙々と稽古に取り組みます。当時の様子を寺内 弘氏(元監督)は次の様に語っています。

 「戦後、第一回の弓道部卒業生西岡君より、監督として依頼をうけ、神沢師範より監督として全権を委任され、道場もなく、仮設あづちにて、 炎天下もいとわず、稽古に励む。私も若く、戦後いち早く復旧した他校においつかんものと切磋琢磨、雨の日も、風の日も稽古、又、稽古に励む。 紺の胴着も白くはげ、苦難に堪え忍び、二年にして一部に返り咲く。宿敵関大との定期戦も組み、関大打倒を目指し、錬磨、錬磨に励む。
 監督について三年目、戦前の先輩諸氏に道場建設をお願いするも、戦前の様に強くなれ、全国制覇を成し遂げたあかつきでなくてはならないと。  〜中略〜 翌年、京都御所において、全日本学生選手権大会に全国制覇を成し遂げる。全部員、肩をだきあって感涙にむせぶ。監督として 就任以来、四年よく堪え忍び、ひたすら、この日を待ち望んだ卒業生、現役、私、一同にかえして喜びがあったが、まだまだ道場建設は成せず 稽古を休み全部員で道場建設に取り組む。」

 その後、夜はアルバイト、昼は紺色の胴着が塩で真っ白になるような炎天下での稽古に励みながら、道場建設の計画が実現し、 学院当局および竹中工務店の支援のもと、関学弓道場が再建されることになったのです。

「創部50周年記念誌」より抜粋編集




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