思い出の矢渡し式
原田の森の道場は広い板敷で小的十二ヶ置かれる広さでした。
小生が入部した頃は好調時代で、堺、剣持、河上、佐藤、小山、江口さん等の外大勢部員がいまして神沢先生や沢野さんが時々来られ、小沢先生が大変熱心な方で正面打興が正しいとの説を立てられ、流派に拘わらず弓は射る可きものと申され気軽に矢取りを挑戦され、仲々お先へと帰る事が出来ませんでした。
対外試合には早くから出して貰い案外気楽に戦って来ました。
岡山の対六高戦などは全国高校戦に出る六高の為にする応援試合と思って毎年出向きました。二年の時、剣持主将に引連れられて東京遠征六戦全勝して帰りましたが、対國學院戦の最中関西地方大地震の号外で関西全滅し東京震災の二の舞−と道場も壊れ帰る家もなくなったらうが、やるだけはやって帰ろうと悲愴な思いで戦い、旅館へ帰って色々の新聞に目を通したのも忘れられません。
早稲田と慶應とは隔年に行き、向うからは其間の年に来て源平と紅白戦を行うのでした。小生が主将としての遠征は先年の様に参りませんで帰り難い思いをしました。
関西の大会は各道場で年一度は弓友を招待して盛大に行い最後まで全員が楽しく拝見したものですが、卒業して関東へ参りますと会社や道場主催の大会に会費持参で賞品を取りに出かける様な味気ない思いをしました。
卒業年の大会で先生から急に矢渡式をやれと申されて、カスリ着にセル袴では礼射どころではありません。先生の御紋付と着替えさせられて道場へ出ました。型の通り進み弓を構えて一呼吸、前を見ますと先生が小生のカスリ着姿で見ておられます。幸運にも甲矢が真中に的中、さて次の乙矢を引き絞ったがどうしても甲矢の筈の上に当たる様な気がして離れません。永い時間かかってヤッと射離して見ると何と甲矢の上に並んでいました。先生の御紋付とカスリ着、甚だ妙な組み合わせながら御信頼に応え得た感激の日でした。
此年第四回明治神宮体育会の大会があり、全国から三人一組の学生、一般団体とが参加、野天で競射しました。学院から二年北村(文)四年山口と小生が出場しましたが残念ながら予選で落ちました。三射まで的中しながら最後の一本が予選通過の鍵となり責任重大です。結果は荷が重すぎました。今、手元に其節の参加賞があります。最後の一本が的の上に乗った苦い思いが染付いています。
誰もがする様に後々の事を心配しながら菅沼君に申し送りをして卒業しましたが、弓丈は戦争末期コロムビア社の道場を取り上げられるまで学生時代と変わりなく盛に稽古をやりました。
今ナゲシに掛けてある二張の弓と矢筒を眺め、四十年の昔を振り返っています。
昭和三年卒 大島武夫 回想
「関学弓道部五十周年記念誌」より
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