台湾遠征

私達が弓道に入った年は、丁度学院が原田の森より上ケ原に移転した昭和四年の春でした。
その頃は広大な農地跡に校舎のみが点々と建っている様な感じで、樹木も未だ小さくどちらかと言えば、殺風景な様に思われました。然し校舎や図書館など何れも近代建築を誇るだけあって、設備もよく明るい好感の持てるものでした。
わが弓道部の道場も小沢先生のお考え通り、実に理想的な立派なものでした。流石に学院の道場はと、外来者の驚く程のものでした。当時の部員は四十名程で、上級生にはそれぞれ個性の強い立派な方々が沢山おられました。小沢先生もよく道場に来られて指導して下さいましたが、上級生も仲々熱心に私達の面倒を見てくれたものでした。北村キャプテン、増住氏、衣川(祥二)氏や小沢兄弟等からよく指導して貰ったことは特に印象深いです。
確か一年の夏休みの合宿練習のとき北村キャプテンが、大島先輩の時代に中国東北部へ遠征をした話を色々聞かせてくれて、この次は台湾遠征をやればよいとも言って居られた。全く夢のような話だなと思って聞いていましたが、丁度二年後の夏休みにそれが実現されたのです。私達が三年生の時でした。その頃のレギュラーメンバーは専ら四年生を以て編成されており、前にも述べた小沢兄弟、衣川、冨田、笹倉、後藤、津高氏等猛者揃いで、わが弓道部の第二の黄金時代と言えると思います。キールンに上陸し、約三週間余り、台北、台中、屏東、台南等に転戦し、その地方の最強メンバーと対戦、好成績を以てその目的を達成することを得ましたことは、わが弓道部史上特筆すべき壮挙であったと思います。
当時の対外試合としては、早稲田、立教、慶應、六高等との定期戦の外に阪本洋太郎マネージャーの時代(昭和四年)に、関西学生弓道連盟が結成されていてリーグ戦が行われていました。わが小沢先生がこの連盟の会長の重職に就いておられたことは、わが部の誇りでもありました。この他学院の文化祭の日には一般弓道大会を開き、各学校を始め、広く各会社、工場の弓道部の方々を招き盛大な競射大会を催していました。これら学校や会社等よりの招待もよくあり、部より個人の資格でよくこれ等の大会にも出かけました。第二の黄金時代も、四年生の最強選手を送り出して終わりましたが、下級生には非常に熱心で優秀な素質を持った方々が沢山おられたので、私達は専ら次期チーム造りに、微力ながら全力を注いで一年間を過ごしその成果の現れることを祈りつつ卒業しました。
現在、弓道部の諸君が当時とは色々の面で、恵まれていない様に思われますが、日々の練習や合宿練習に私達の時代以上の努力を続けている姿は、実に涙ぐましいものがあります。先輩諸兄、弓道部発展のため、特に物心両面よりの御支持と御協力をお願い致します。
昭和八年卒 古塚 緩、坪内 寿、服部 実 回想
「関学弓道部五十周年記念誌」より
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