昭和7年〜9年 全日本学連・明治神宮全国大会優勝

我が弓道部も五十周年を迎え皆様と共に喜びにたえません。戦争のためブランクが出来、資料も喪失したとか誠に遺憾です。

輝かしき歴史と伝統を誇る弓道部のために惜しみます。

常に関西に君臨し時として全日本にも覇を唱えた弓道部のため、歴史のブランクを埋めるのも吾々の責務で思い出の二、三を記しましょう。小生の入部した昭和七年は黄金時代であった小沢兄弟らの全メンバーの卒業と入れ替わりで誠に淋しいものでした。唯一人古塚兄が残っておられるのみでした。前年の豪華なメンバーを知るものには感無量でした。

昔日の勢威を取り戻さんものと部員一同努力しました。そのかいあって在学三年間に

 一、昭和七年 全日本学連準優勝
 一、昭和八年 明治神宮奉納大会 辻谷個人優勝
 一、昭和九年 全日本学連優勝

誠に輝かしい栄誉で、その何れの大会にも出場し誠に幸運そのものでした。

次に簡単に思い出を記しましょう。

◎昭和七年 全日本学連準優勝
大会は真夏7月に京大で開催されメンバーは先鋒より辻谷、竹下、長谷川(旧姓大江)、山口、古塚、決勝トーナメント十六校により行われ順調に勝ち進んだが、準優勝戦前より古塚兄突然に暑さによる貧血で倒れ、当時も細い身体でしたから一時休養の後出場しましたが、力なく残る四人でカバーして準決勝、決勝と頑張りましたが、遂に利あらずたしか日大に優勝をさらわれました。この大会が秋ならば古塚兄も元気で、軽く優勝できたであろうに残念でした。

しかし吾々はこの大会により関東の大学何するものぞと大いに自信を持ちました。

◎昭和七年早関戦に古塚兄大活躍
この年秋の早関戦、源平戦は敗れ紅白戦に望みを託したが、早稲田二名のために当方七名撫で切られ、誠に不甲斐なき状態だったが、御大古塚立って先方残る六名撫で切られたのには只々感謝感激でした。決勝の小的戦に望を託し頑張ったが、僅差を以て敗れ古塚兄の奮闘に報われず、申訳なさに頭を上げ得ずでした。

◎昭和八年 明治神宮大会に個人優勝
自分のことを書くのは面はゆいのですが、過去の記録として御辛抱願います。
この年秋東京遠征の成績も芳しくなく、最後のこの大会に希望を託し予選を通過したが、一次で敗れ残るは個人戦を残すのみ。予選皆中の小生のみが出場し朝九時より延々四時頃まで食事もとれず、十五射見当を射抜き栄えある優勝に輝き、独り悦に入りました。個人戦は上は教士より下は高校生に至る全参加者の皆中者により、戦われたもので誠に光栄でした。
これにより遠征の土産も出来、漸く先輩に顔向けができると喜んだものでした。
当時三位の稲垣氏が現在、早稲田の監督です。

◎昭和九年 全日本学連優勝
この年も秋、京大で開催されメンバーは先鋒より青野、衣川、重枝、辻谷、長谷川でトーナメント順調に勝ち進み、準決勝で早稲田と当たったが我方先攻にて一手目九中、先方八中、 二手目、我方七中、先方六中で十六中対十四中で我方の先制攻撃効を奏し、宿敵早稲田倒し意気盛んでした。優勝戦も順調にものにして全日本学連に覇を唱えました。

当日の長谷川君の活躍目覚ましく確か一次戦より二十射十八中の成績で、大きな大会で見事と言う外ありません。

この大会関西であれど地の利、その他で益々優勝の自信を深めました。

終わりに臨み在校生諸君も不遇時代も屈することなく錬磨に励み、運をうまくつかみ雄飛されんことを祈る。益々光輝ある歴史と伝統に花を添えられんことを祈る。



「明治神宮大会優勝の思い出」 昭和十年卒 辻谷善逸 (関西学院大学弓道部五十年誌より)




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